4/22 ドレーン(管)が1本抜けた日
手術箇所から2本、排液を体の外に出す管が出ていて、それをためるバッグをポシェットに入れて持ち歩いていたのだが、1個は明らかに量が減っていた。
排液の量は毎朝5:30〜6:00に看護師さんがやってきて、はかってくれるのだが、テーブルとかないとやりにくいので、セットして待ち構えるのが朝の始まりだった。
回診の時間になり、形成外科の主治医がドレーンを抜いてくれて、抜糸も行なった。てっきり処置室(各階にある)で抜かれると思っていたので、びっくりした。事前の下調べ通り、ドレーンは体から抜いたのに痛くなかった。抜糸もほとんど痛さはなかった。
ポシェットが1個になった。軽くなった。
この段階で、もう1個(大胸筋下から出ている)のドレーンも排液の量が少なくなってきているから、早めに抜けるかもという話が出る。
術後は、再建(一期)をしたため、中身がずれないように左腕は肩まで(90度まで)しかあげないように言われていたが、そろそろ真上にあげても良さそうな雰囲気になった。
が、乳腺外科の主治医は少しずつ真上にあげてOKで、形成外科の主治医は中身がずれるから1週間はダメとのことだった。主治医が2人いる難しさを感じた。
この日は実家にも連絡して、点滴の針が取れたこと、ドレーンが抜けたことを報告した。
4/23
夫がお見舞いに来てくれた日
かつ、美味しいパンを食べた日
夫が午後半休でお見舞いに来てくれることになっていたので、前夜に塩パンの差し入れを希望したところ、わざわざ途中下車して美味しい塩パンを買ってきてくれた。
昼食は普通に食べたが、パンは別腹だったので、美味しくいただいた。2人で「うまっ! すごっ!」みたいな語彙力の全くない感想を言い合った日だった。
この頃は、毎日体は拭いて着替えたりしていたけれど、シャワーが浴びれず、自分がくさいんじゃないかと不安になっていた時期でもある。(夫に少し嗅いでもらったりとかして、確認していたので、一応臭くはなかったようだった)
右手の点滴の針が抜け、ドレーンも1本になり、自分で洗髪と下半身はシャワーを浴びていたが、上半身だけシャワーを浴びれない。
みんなからお見舞いの話が出た時、自分のメンタル優先でお断りさせてもらったけど、シャワーが浴びれないことで気落ちすることもあるんだな、 誰かにお見舞いに来て欲しいなと思う日もあったけど、やっぱり無理だったなとわかった日だった。
4/24 「おうちにかえりたい」と連絡した日
この日、私の前のベッドにいた患者さんが私より遅く入院したのに退院するらしいと知った。骨折ではあったが、全身麻酔での手術で、術後酸素濃度が低かったり、声も出にくく掠れた感じでしか喋れなくなっていたのも知っていたので、退院が羨ましかった。
さらに右隣の患者さんも骨折でリハビリもまだまだという感じだったのに、駄々をこねる感じで退院を勝ち取っていた。
羨ましかった。
ドレーンの排液の量が減らないだけ、左腕を激しく動かしたり、負担をかけたりしなければいいだけで、術後の経過は良いはずなのに、退院できない。
調べたら、ドレーンをつけたまま退院する場合もあるそうなので、朝夕の回診時に主治医に相談することにした。
相談と一緒にドレーンの排液の量が減らない理由も聞いてみた。胸が大きい分とった量が多いからとのことだった。
乳腺外科の主治医は、できれば2週間経過は見たかったけど、元気ですし退院したいですよねとなり、27日土曜日の退院が見えてきた日だった。