手術後の日々(2024/04/25〜27)

4/25 夫がお見舞いに来てくれた日

かつ、シュークリームを食べた日

 

朝の回診でいつもよりプラスした処置の時間もあり、形成外科の主治医と長めに話すことができた。

この日は術後初めて、大胸筋下に入れている拡張器(ティッシュ・エキスパンダー)に生理食塩水50ccを追加した。注射されている感覚は全くなく、左胸は感覚がないままなのかなと思いながら、色々と質問した。その際に1,140gとった話が出てきて驚かされる。

この時もまだ手術の詳しい結果などは病理検査後に聞く予定だったので、何も知らなかった。

 

いつもより時間があると言っても10分もないくらいだったろう。早めに言わなければと意を決して、退院したいけど、無理だろうかと相談したところ、あっさりOKが出た。ドレーンはそのままの状態なので、看護師からレクチャーを受けて、朝必ず排液の量をはかるように言われる。

退院できる、嬉しい! 嬉しい!

私の場合は、左脇から左胸の下までを開き、広範囲だったがん細胞を全摘と同時に再建(一期)を行なっているのだが、血流が悪いと乳首が壊死したりしてしまうらしい。不安な色をしてはいるが、乳首は生き残ったし、開いた箇所の経過も悪くなさそうだったこともあり、退院が決まった。

 

夫に退院が決まったことだけはすぐに連絡して、あとは会った時に話すことにした。

体から管が出ている状態での退院になるので、大丈夫ということを直接伝えなければならないと思ったからだ。

中庭でシュークリームを食べながら、説明した。夫は本当に大丈夫なの?って感じだった。家の中で管を引っ掛けたり、夫もずっとそばにいるわけじゃないから、何かあった時に助けられないこともあるよ?ということだったけど、経過が順調であることに加え、痛み止めもほとんど飲んでいないし、予定より4日早くなるだけだからとお願いした。

渋々だったけど、退院しても良いとのことになった。また私のわがままで困らせてるなぁとは思ったけど、主治医もOK出してるし、あなたの妻はわがままなので、しょうがないです。(ありがとう)

ちなみに、乳腺外科、形成外科とも主治医は女性で、実家の母も退院に賛成だったのに対し、形成外科かなんかの男性医師と実家の父、夫があまりいい顔をしなかったのは、どうやっても分かり合えない体の違いからなのかもしれない。

 

4/26

退院の準備を粛々とすすめた日

 

朝6時前に起こされて、ドレーンの取り扱い(排液のバッグ)を教わる。

管の先についているバッグから液を排出して、はかって、空になったバッグに圧力がかかるように操作する。

この操作、バッグにかかった圧力で排液をためていくのだが、圧力をかけるのは基本1回だけなので、どのくらいの力でロック箇所を押すのかとかわからなくて、少し手間取ってしまった。念のため、明朝もレクチャーをお願いした。

ドレーンの排液の量は、ほんとにゆっくりゆっくり減っている。

 

明日の退院に向けて、少しずつ荷物をまとめていくと本当に退院するんだと実感が湧いてきた。入院時の服は、夫に持って帰ってもらって洗濯をお願いしていたので、迎えの時間と帰る時に着る服を連絡した。

 

明日退院なのに、夫が帰りに手を振りにいつもの場所まできてくれることになった。(会えなかった日も会えた日はわざわざ夜にも、いつも病院から見える橋で手を振ってくれた)

肉眼でお互いの形だけが見えるので、2人でゆっくり大きく手を振った。

 

4/27

退院した日

 

朝6時前に看護師さんと一緒にドレーンの排液を教わったとおり行なった。

土曜日なので、回診はない。朝食を食べて、夫の迎えを待つ。

左脇腹(腰よりもやや上の方)にドレーン(管)が入っているので、前開きのシャツワンピースくらいしか着れないかと思って頼んだ着替えを持って、夫が迎えに来てくれた。

荷物はほとんどまとめてあったので、ナースコールで看護師さんに部屋から出る連絡をして、忘れ物がないか一緒にチェックしてもらい、病院を後にした。