退院後の通院(5/27)

5/27

形成外科への通院日かつティッシュ・エキスパンダー(拡張器)に最後の生理食塩水50ccを入れた日

 

全摘手術時に生理食塩水500ccが入れられ、その後10日から2週間おきに注射器で生理食塩水を50ccずつ入れてきた。700ccまでのティッシュ・エキスパンダーではあったけど、あと100cc追加して800ccまでいけるらしい。

追加するか確認されたけど、追加の場合は破損の可能性が高くなるとのことだったので、700ccまでにしておいた。

生理食塩水を入れる時は、あお向けに寝た状態で注射器で入れるので、自分からは入れるところは見えないし、左胸の全摘したところは感覚も全くないので、何かしてるなくらいの気持ちになる。

それでも毎回「(注射)痛くないですか?」って聞かれては、「何も感じないです」と答えるやり取りが発生していた。

この日から、左胸への軟膏の塗布とガーゼがやっとなくなった。手術から数日後、左乳首の生存状態(壊死する場合がある)を確認してから、ずっとケアしてきたので、とても感慨深かった。 生き延びた左乳首が繊細なのは変わらないので、これからも大事にしないといけない。

この週末から色々と解禁されて、お風呂に浸かっても良くなり、左腕で重い物も持っていいし、運動もしていいと言われた。

生理食塩水を入れると毎回圧迫感が強くなって、少し慣れてきてを繰り返しているのだけれども最後の50ccを入れてから、圧迫感と鎖骨のすぐ下が引っ張られている感じがずっと続いてしまっているので、運動も散歩とかストレッチ、スクワットくらいしかできない日々が続いている。

形成外科への通院は約1か月後になり、その次は3か月後ずつくらいで、来年2月くらいに、ティシュ・エキスパンダーをシリコンに替える手術を予定している。

まだまだ先は長いなと思った日だった。

退院後の通院(5/13、5/14)

5/13

形成外科の通院日

この日は、ティッシュ・エキスパンダー(拡張器)に生理食塩水を50cc追加してもらう日かつ大きく進展した日だった。

 

左胸にべたべた貼られていたテープ(私の場合は乳頭温存手術だったので、乳首を固定するためのテープだった)が剥がされた。

左脇への軟膏の塗布とガーゼがなくなった。

ドレーン(管)が入っていた箇所の絆創膏が不要になった。

胸をおさえるためのバンドも不要になった。

一気に身軽になった。

ちなみにあらかじめ聞いていた期間よりも全部半分以下の期間だった。

この日は飲酒許可ももらい、もう1人の乳腺外科の主治医も多分飲酒許可するはず! と、飲酒解禁になった日だった。

 

5/14

乳腺外科の通院日

手術でとった組織の病理検査の結果を聞きに行った日だった。

 

リンパ節への転移がなかったことは、手術当日に聞いていたし、手術前にがんのタイプについても話があったので、よっぽど何かがない限りは、今後の治療は変わらないはずだからと1人で検査結果を聞きに行くことに。

 

乳腺外科の先生とは退院前に会ったきりだったので、久しぶりだった。

診察室に入ると手術日のことを思い出したのか「1140g取ったんです。こんなに取ることなかったので大変でした。全摘でも一般的に300〜400gだから、3〜4倍くらいの量でした」と本当に初めての経験だったっぽくて、2人ですごい量で大変だったねって話から開始した。

まずは手術でとった組織をどういうふうに調べたかなど、実際に自分の体から取り出した組織の写真を見ながら説明を受ける。

とった組織でがん細胞の範囲を確認したら、MRIと同じ範囲だったから、全摘して良かったと思うと言われた。

 

がんのタイプは、術前の説明と同じく一般的なもので、内分泌療法(ホルモン療法とも言われるよ)になるという話だった。

今回見つかったがん細胞を取り除いても、微かに残ってしまったがん細胞が増殖しないように治療は続いていく。特に乳がんは転移しやすいらしい。

投薬と注射で閉経させつつ、いわゆる女性ホルモンの作用を抑制することで、がん細胞の増殖を抑えていくことになる。

投薬はこの日から始まり、1か月副作用など異変がないか様子を見てから、翌月注射することになった。何もなければ、投薬は10年続く。

投薬と注射をするけど、脂肪からも女性ホルモンが出る話をされて、通院開始時よりも痩せたけど、もう少し痩せるように指導が入った。

ダイエットは乳がんのためにしていたわけではなかったのだが、病気、入院ってなった反動で好きな物を食べたりしていたので、ダイエットしてますという状態ではなく、この日を境にゆるいダイエットを再開しようと思った日だった。

通院の合間

退院後、雅叙園の100段階段に行ったり、六本木ヒルズのフリーライブを見に行ったり、ガーデンプレイスの屋外でのDJを聴きに行ったり、夫のDJの現場へ遊びに行ったりと入院期間は短かったのにその反動が大きくて、とにかく遊びたかった。

「戻ってくるのはやいよ!」って冗談めかして言われたけど、テープでベタベタと固定されている左胸とそこに入っているティッシュ・エキスパンダー(拡張器)のどうしようもない異物感で何もしないとツラい日々だったので、とにかく楽しいことをしたかった。

わざわざ会いに来てくれた人たちがいたのもとても嬉しかった。

抜糸も終わっていたし、多分お酒を飲んでも大丈夫だったと思うけど、主治医2人に許可を取るまでは、ノンアルで過ごしていたので、次に乾杯する時はアルコールで🥂と言って過ごした日々だった。

退院後の通院まで(5/3〜12)

ドレーン(管)が抜去され、どこかに引っかける心配もなくなったので、ほぼ術前と似たような生活が始まった。

 

術前との生活で変わったことは、左胸に入れているティッシュ・エキスパンダー(拡張器)の異物感があって、歩くのが遅くなったことと手術跡のケア、左腕も激しくは動かせないこと。

術後ずっとではあったけど、寝る姿勢もうつ伏せからあお向け(にしかなれない)になった。

シャワー浴後に手術跡の左脇のケアをするのは、自分からは直接は見えない位置だったので、手術跡を直視しなきゃいけないから嫌かなぁと思いつつ、最初は夫に手伝ってもらったり、自分でも鏡を見ながらケアしたりしていた。

上手くできる日の方が多かった気がするけど、軟膏をべったり塗るとカップ付きのタンクトップを着る時にガーゼがよれて、イライラしたり、手術跡はもちろんきれいなものではないから、それを毎日見る自分の気持ちのコントロールが大変だった。

左腕をどれだけ動かしていいか分からないのが1番困った。

激しく動かすのはダメと言われているけど、激しくの基準がよく分からない。右利きではあるけれど、左手で物を持つことが多かったため、右手でしか持たないようにすることを意識すると不便だった。

とにかく左胸に入れたティッシュ・エキスパンダー(拡張器)の異物感が半端ない。一応固定されてはいるけれど、ずれることもあるみたいだし、体への振動で、異物感をずっと感じてしまうし、左鎖骨の下が引っ張られるような感覚だったりで、ゆっくり歩くしかなかった。

次の通院まで10日間ほどあいてしまったので、前回言われたことを守るしかない日々だった。

退院後の通院(4/30〜5/2)

4/30(火)

退院後、形成外科への初めての通院日

体から出ているドレーン(管)の排出液量はあまり減っていなかったため、抜去できず。

左乳に入れたティッシュ・エキスパンダー(拡張器)に生理食塩水を50cc追加した。追加したことで内側が圧迫されて排出液量は減るかもとのことで、期待が高まる。手術した箇所の抜糸もそろそろという雰囲気ではあったが、先生から抜糸できるかはまた後日の診察次第と言われてしまって地味に凹んだ。

退院後、初めて1人で電車に乗って一駅先の蕎麦屋へ行くことにした。まだ左腕は重いものを持ったりできないし、術後半月でぶつかったりすると当然痛い状態なので、すごくどきどきした。

この日は、夫に「ドレーンはとれーん」とくだらないダジャレをLINEするも華麗にスルーされた日だった。

と、思いきやこの日の寝る前に会話の流れで夫婦で「ドレーンとれーん」って連呼した。やはり口に出したい語感だなと思った日だった。

 

5/1(水)

排出液の量が少し減っていた。

※毎日決まった時間に測るため朝6時に1人テンションがぶち上がる。

感染症予防のためドレーン(管)は2週間までしか入れられないのだが、 抜去後、排出液が体内に吸収されず溜まった場合は、注射器で抜くらしいから、ある程度量が減ったことで安堵した。

夜、夫自ら妻の左胸を触るって言って触ってきた。多分、私の今の状態を把握してくれようとしているのかな?と思ったけど、真意は聞いていない。

前日、私も左胸に直接は触れていなかったので、初めて左胸の下を触ったら、ティッシュ・エキスパンダーに触れるのかとてもかたくて、自分の体じゃない感が強いし、なんだこれは!?という気持ちになって、夫にも触ってもらった。

夫も術後の胸に触るのは初めてだったと思う。2人でうわぁ〜なんかある〜うわぁ〜となっていた。これを書いている現時点でもまだ、こうなってしまう。

 

・5/2(木)

退院後、形成外科への2回目の通院

前回の通院から、排出液量は確かに減ってはいたものの、まだ抜去可能な量ではなかったが、これ以上ドレーン(管)は入れておけないので、抜去は確定だった。

抜去箇所は、体に穴が開いている状態なので、病院で貼ってくれた防水テープを3日間付けっぱなしにして、その後1か月くらいは防水の絆創膏を貼ることに。

なんと、一部治りが悪い箇所があったものの、この日は抜糸もしてもらえた!(事前に抜糸は状況次第と言われていた)

帰り道、すぐに夫にドレーンが取れ、抜糸もしてもらえたことの報告ととにかくすごく嬉しくて「ひなた、あたたかい。嬉し泣き」とLINEした。

入院中の出来事(部屋と看護師さんと私)

ぬいぐるみとか持っていった方がいいよとか色々アドバイスをもらい、好きな物に囲まれた部屋になるようにした結果、色々なキャラが混在する部屋に。

お気に入りのDisneyで買った大きいタオル、ドラえもんのパジャマ、ちいかわのパジャマ、タオル、靴下、ふりかけ、ちいかわにでてくるうさぎのぬいぐるみ、とパンどろぼうのぬいぐるみ、なにわ男子のカレンダー(スノとなにわはアクスタを持っていくかぎりぎりまで悩んだ)

看護師さんから特によく聞かれたのは「ちいかわが好きなんですか?」でした。ほぼちいかわに囲まれてたからそうなる。

どの看護師さんもちいかわ好きな看護師がいてって話してくれたんだけど、全然担当に回ってこなくて、入院後半にやっと担当してもらえました。

夜勤担当の時だったから、夕食の配膳をしてくれて、「この部屋だ!」ってなってて、お互いに周りの看護師さんから話だけ聞いていて、やっと会えたね!っていう感じになったのおもしろかった。

私が入院した階は、手術を要する骨折の方が多く、重篤な患者さんはいなかったからなのか、看護師さんはほとんどが2〜3年目の若い方だった。

Youtubeでよにの見てた時とか、「見えちゃったからすみません、私もよく見てます〜」って話したり、パジャマを着替えると「パジャマ変わった! かわいい!」ってなる看護師さんなどなど、みんなほんわかしていて、とても癒されました。

 

日勤夜勤と交代されるので、担当も1回だけだった方もいれば、多分1番多く担当してくれた方でも3回くらいだったと思う。1番担当になってくれた看護師さんが手術翌日に洗髪してくれた看護師さんだった。その看護師さん、かなりドジっ子で、体温測って、血圧を測り、合間に違う話をしてしまうと体温測りましたっけ?ってなってしまっていた。2回ほどあったけど、2回とも◯度だったよ〜って教えてあげると「認知の患者さんじゃなくて良かった〜」ってなっていた。めちゃくちゃ記憶に残るドジっ子看護師さんとなったのでした。

夫がお見舞いにきた時に「髪の毛洗ってくれたドジっ子看護師さん、可愛いよ、あの子だよ」って教えたり、退院日の担当だったので、手続きしながら、着替えたワンピースをかわいい〜って褒めてくれたり、和やかに過ごせたのは看護師さんたちの雰囲気が良かったからなのかも。

どの看護師さんも部屋を見ては「かわいい〜」とか「癒される〜」って言ってくれていたけど、そんな看護師さんたちに私が1番癒されてました。

手術後の日々(2024/04/25〜27)

4/25 夫がお見舞いに来てくれた日

かつ、シュークリームを食べた日

 

朝の回診でいつもよりプラスした処置の時間もあり、形成外科の主治医と長めに話すことができた。

この日は術後初めて、大胸筋下に入れている拡張器(ティッシュ・エキスパンダー)に生理食塩水50ccを追加した。注射されている感覚は全くなく、左胸は感覚がないままなのかなと思いながら、色々と質問した。その際に1,140gとった話が出てきて驚かされる。

この時もまだ手術の詳しい結果などは病理検査後に聞く予定だったので、何も知らなかった。

 

いつもより時間があると言っても10分もないくらいだったろう。早めに言わなければと意を決して、退院したいけど、無理だろうかと相談したところ、あっさりOKが出た。ドレーンはそのままの状態なので、看護師からレクチャーを受けて、朝必ず排液の量をはかるように言われる。

退院できる、嬉しい! 嬉しい!

私の場合は、左脇から左胸の下までを開き、広範囲だったがん細胞を全摘と同時に再建(一期)を行なっているのだが、血流が悪いと乳首が壊死したりしてしまうらしい。不安な色をしてはいるが、乳首は生き残ったし、開いた箇所の経過も悪くなさそうだったこともあり、退院が決まった。

 

夫に退院が決まったことだけはすぐに連絡して、あとは会った時に話すことにした。

体から管が出ている状態での退院になるので、大丈夫ということを直接伝えなければならないと思ったからだ。

中庭でシュークリームを食べながら、説明した。夫は本当に大丈夫なの?って感じだった。家の中で管を引っ掛けたり、夫もずっとそばにいるわけじゃないから、何かあった時に助けられないこともあるよ?ということだったけど、経過が順調であることに加え、痛み止めもほとんど飲んでいないし、予定より4日早くなるだけだからとお願いした。

渋々だったけど、退院しても良いとのことになった。また私のわがままで困らせてるなぁとは思ったけど、主治医もOK出してるし、あなたの妻はわがままなので、しょうがないです。(ありがとう)

ちなみに、乳腺外科、形成外科とも主治医は女性で、実家の母も退院に賛成だったのに対し、形成外科かなんかの男性医師と実家の父、夫があまりいい顔をしなかったのは、どうやっても分かり合えない体の違いからなのかもしれない。

 

4/26

退院の準備を粛々とすすめた日

 

朝6時前に起こされて、ドレーンの取り扱い(排液のバッグ)を教わる。

管の先についているバッグから液を排出して、はかって、空になったバッグに圧力がかかるように操作する。

この操作、バッグにかかった圧力で排液をためていくのだが、圧力をかけるのは基本1回だけなので、どのくらいの力でロック箇所を押すのかとかわからなくて、少し手間取ってしまった。念のため、明朝もレクチャーをお願いした。

ドレーンの排液の量は、ほんとにゆっくりゆっくり減っている。

 

明日の退院に向けて、少しずつ荷物をまとめていくと本当に退院するんだと実感が湧いてきた。入院時の服は、夫に持って帰ってもらって洗濯をお願いしていたので、迎えの時間と帰る時に着る服を連絡した。

 

明日退院なのに、夫が帰りに手を振りにいつもの場所まできてくれることになった。(会えなかった日も会えた日はわざわざ夜にも、いつも病院から見える橋で手を振ってくれた)

肉眼でお互いの形だけが見えるので、2人でゆっくり大きく手を振った。

 

4/27

退院した日

 

朝6時前に看護師さんと一緒にドレーンの排液を教わったとおり行なった。

土曜日なので、回診はない。朝食を食べて、夫の迎えを待つ。

左脇腹(腰よりもやや上の方)にドレーン(管)が入っているので、前開きのシャツワンピースくらいしか着れないかと思って頼んだ着替えを持って、夫が迎えに来てくれた。

荷物はほとんどまとめてあったので、ナースコールで看護師さんに部屋から出る連絡をして、忘れ物がないか一緒にチェックしてもらい、病院を後にした。